足るを知る

スッキリ・凛とした生活を送りたい。日々のアレコレ。

色々な最期から学ぶこと。

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昨年末から1月中旬にかけて、
親戚・知人・友人、
何人かの最期に立ち合ったり、
お葬式に出たりしました。

しばらく音信不通だった、伯父。

こちらの記事で書いた、伯父です。
yunbox.hatenablog.com

肝臓がんで入院し余命が僅かだと知ったのは、昨年12月に入って。
一度お見舞いに行き、
次に会ったのは、お通夜の席でした。

資産家なので財産はある程度残して逝ったのですが、
引きこもりの従兄のために妹のTちゃんより多くを遺したので、
揉めに揉めました。
それはそうです。
最期、看病をしたり、保証人になったり、
お通夜・お葬式の手配をしたり、
すべてをこなしたのは、Tちゃんとご主人なのですから。
なのに。
「Sのことを頼む。面倒見てやってくれ。」
と、遺言を残し、すべてをTちゃん夫婦に押し付けて、他界。
伯母はそれを当然としてTちゃんに注文をつけ、
明らかに精神的におかしい兄(Sくん)は暴言を吐き続け。

親戚一同、Tちゃんの味方をして、色々と揉めました。
いまもまだ、決着はついていませんが、
Tちゃん夫婦は、母親&兄と縁を切ることになると思います。
幸い(?)暮らしていける財産はあるので、
あとは母と息子の二人で生活していくことになるでしょう。
Tちゃんは、本当にがんばったと思います。
親戚一同に連絡をくれたのも、彼女。
最後は泣きながら、親戚たちに頭を下げていました。
そんな必要はないのに。
一番辛いのは、自分なのに。

救いは、旦那さんとそのご両親が立派な方で、夫婦仲が良いこと。
この家族の力になろう。
そう、親族一同決めました。

私が小学5年生のときの担任、S先生。

暑中お見舞い・年賀状のやりとりをず~っと続け、
私が結婚してからは帰省のたびにご挨拶に伺っていました。
亡くなったのは、昨年11月のこと。
そのことを知りませんでしたが、
お正月の年賀状の代わりに、S先生からのお手紙が届きました。
夏のうちから書いていたお手紙。
ご自分のこと、 小学生のころの私のこと、
私の子どもたちのこと。
便箋3枚にたくさんの、あたたかい言葉。
同封されていた息子さんからのお手紙には、
余命が分かってから、友人・知人全員に、
お別れのお手紙を書いていたとこのこと。

「母の希望で、家族だけでの葬儀を行いました。」
「お香典などもご遠慮させてください。もしよろしければ、下記まで寄付をしていただけると幸いです」

とあり、あしなが育成会のHPのアドレスが書いてありました。
きっぱりさっぱりされていたS先生らしい最期だと、思いました。

ご近所の、Mさん。

亡くなる前に、
「派手な葬儀はしないでほしい。」
「家族だけで見送ってほしい。」
と言い遺されていました。
奥さまがその遺志を尊重しようとしていたのに、
遠方にお住まいの息子さんがガンとして認めず。
会社もそうそう休めないからと、
息子さんがお住まいの県で、お通夜&葬儀をしてしまいました。
ご自分の会社の人たちばかりの葬儀にして。

もう少ししたら、息子さんの自宅の近くに引っ越される奥さま。
居を構えて40年ちょっと。
地域にたくさんのご友人がいて、
つながりがあるのに、
その人達に最後のご挨拶ができなかったと、
悔やまれています。

その他にも、亡くなったかたが何人か。
色々と考えさせられる、年末年始でした。

人生なんて、しょせん、死ぬまでの暇つぶし。

以前読んだ本(題名は忘れてしまいました、、、)に書いてあった、
この言葉が頭をよぎります。

何かを無理に残そうとしたり、
家族に無理な要求をしていったり、
自分の痕跡を残そうとしたり。

子どもが親の遺志を尊重せず、
自分の社会的地位を見せつけようとしたり。

そういう考えの方たちのお葬儀は、揉める。

自分が残せるものなんて、そんなにない。
一番は、子どもたちでしょうか。
わが子たちが私のことを覚えていてくれれば、十分。
願わくば、その思い出が幸せなものであってほしい。

そう思いました。