足るを知る

スッキリ・凛とした生活を送りたい。日々のアレコレ。

「親孝行=老後の面倒を見てもらう」という考えは、おかしい。

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「親孝行」って、どういうことだと思いますか?
私は、「無事に産まれてくること」だと思っています。

私の祖父母も、両親も、そう言って私と妹を育ててくれました。
「生まれてきただけで、親孝行は終わってるんだよ。」と。
私と主人も、わが子たちに常に、そう伝えています。

私の祖父母は、老後、伯父夫婦の提案で同居し、
いろいろと助けてもらっていました。
でも、こんな考え方をしていた二人なので、
伯父夫婦やほかの子どもたち、孫達に、
つねに感謝の言葉を言っていました。
自分たちができることは、全部自分たちでやっていました。
いつも本を読み、勉強をしていました。
凛としていて、でも穏やかでした。
伯母が、「見事だよね」と感心していたほどです。

その様子をみながら両親と私と妹は、
こんなふうな老人になりたいと話していたものです。

私の両親も、老後のことはいいんだよと言ってくれています。
「自分たちでどうしようもなくなったら助けてもらうことが出てくるかもしれないけれど、
今は施設もあるし、大丈夫だから気にするな」
と言ってくれています。
だからこそ、何かあったらお世話させてほしいねって、妹と話しています。

でも。
親戚のなかには、本当にみっともない老人がいます。

「老後はたのむな」
「いつになったら面倒を見てくれるんだ」
「はやく同居して家事をやってくれ」
「引き取ってくれ」
「さみしい、さみしい、さみしい」

愚痴や嘆きばかりです。
見苦しい。

娘が生まれた時に、
「これで老後は安心だから、よかったなあ」
と言った老人もいました。
アホかと思いました。
きっと、自分の子どもたちのこともそういう目で見ているのでしょうね。

親戚のなかには、親切ぶってうちの子たちに、
「お父さんお母さんの面倒を見るんだぞ」
といらんこという人もいます。
大きなお世話です。

そんな人たちに限って、
昼間はテレビをみながらゴロゴロ。
ワイドショーやスポーツを見ながら愚痴ばかり。
動けるのに体を動かすことをせず、太っていくばかり。
そして、過去の栄光にこだわり、自慢話ばかり。
ますます若者は寄って行かなくなります。
そうすると、「親不孝だ」と。

大人って、老人って、
体が動かなくなっても次の世代に教えることがたくさんあると思うのです。
自分の経験を伝えるだとか、
感謝の表し方だとか、
本を読み勉強する姿勢だとか、
「死」への心構えだとか。

私はそれは見事な祖父母の最期を見たので、
余計にだらしない老人を辛口で見てしまいます。
主人もそうです。

私も、祖父母や両親のように年をとろう。
いつも、そう思っています。