足るを知る

スッキリ・凛とした生活を送りたい。日々のアレコレ。

【読書記録】高峰秀子の流儀

高峰秀子さんという女優を知りませんでした。
映画を見たこともありませんでした。
でもふと、この本の表紙の写真、
凛とした着物姿の写真に惹かれて、読んでみました。

素晴らしい本でした。

13章から成り立っています。


  1. 動じない
  2. 求めない
  3. 期待しない
  4. 振り返らない
  5. 迷わない
  6. 甘えない
  7. 変わらない
  8. 結婚
  9. 怠らない
  10. 二十七歳のパリ その足跡を訪ねて
  11. 媚びない
  12. 奢らない
  13. こだわらない

目次を読むと、禅の本かと思うほど。
そして、読むのが楽しみになりました。
読むと、想像以上、期待以上の本でした。

5歳の頃から子役として活躍し、
養母(デブと筆者と高峰さんは呼んでいます)に押さえつけられながら、
お金目当ての親族にまとわりつかれながら、
小学校にも通えずに仕事をし、家族親戚を養い、
大女優として活躍し、あっさりと引退した高峰秀子さん。

その高峰さんに、養女の斎藤明美さんがインタビューし、綴られています。

1. 動じない

幼いころから、デブや親戚に搾取されてきた高峰秀子さん。
その例が挙げられていますが、よくもまあと唖然とするほど。
そして、「デブは私の反面教師だった」と言っています。
女優でいること自体が、いやでいやで仕方がなかった、と。

「私は考えてもしかたのないことは考えない。自分の中で握りつぶす」

働き詰めで小学校に行けなかった高峰さんは、地方ロケに向かう汽車のなかで、
担任の先生が届けてくれた絵本を見ながら字を覚えたそうです。

2. 求めない

女優・高峰秀子が日本映画界に果たした大きな貢献。
でも彼女は、その全てに「興味がない」。
映画賞の数々のトロフィーも捨てる。
大きな家も、無用になると小さな家に建て替える。
インタビューも極力答えない。

では、何に興味を持っているのか。

つまり、これこそが高峰秀子にとって重要なことなのだ。映画賞を貰うことでも、眼の色変えて金を稼ぐことでも、日本映画史に名を残すことでもなく、ただ、日々の暮らしを自分流に快適に過ごすこと。
殊に、前回聞いたように、自ら求めたものは「結婚だけ」だから、自身の快適さもさることながら、夫君の松山氏がいかに心地よく毎日を送れるかに腐心する。

女優という職業をとったら何にもない人間になりたくない。

大女優で人気絶頂のときに、こんなことを考えられる人は、いないのでは。

3. 期待しない

私は、高峰さんが愚痴の類を口にしたのを、ただの一度も聞いたことがない。
彼女には、端から愚痴の種になる”期待”そのものが、ないのだ。

人によく思われたい→こうしたら人は良く思ってくれるだろうという期待。
認められたい→こうしたら認めてもらえるだろうという期待。

「あんたが思うほど、人はあんたのことなんか気にしてないよ」

高峰秀子さんが求め期待するのは、自分自身に対してだけ。
自分の生き方に責任をもつだけ。

4. 振り返らない

自分が出た映画作品を観たことがない高峰さん。
理由は、「だって、もう自分が演っちゃったんだから」。

もらった膨大なファンレターは、全部捨てる。
尊敬する人たちからの手紙だけを残している。
その人たちを尊敬する理由としては、「人として潔いから」

人は、その生きたように老いるのだ。

見苦しい人間かどうかという指標は、「愚痴・昔話・説教」だという著者。
それはすべて、自分のことを「振り返って」生まれるもの。

5. 迷わない

人はそのときどきの身丈に合った生活をするのが一番です。

22年間住んだ豪邸を取り壊し、夫婦ふたりの住む小さな家に建て替えた高峰さんのセリフ。
建物だけでなく、中身も二人に必要なものだけ残して、あっさり処分。

そして、土地を買う時も、家を決めるときも、日々の食材の買い物でも、「迷わない」。
ご主人の松山氏いわく、「一発必中」。

高峰秀子には、迷いがない。
結婚でさえも。

それは、相談できる人がいなかったのもあるが、
相談「しなかった」から。

そして一度決めたことを決して翻さず、振り返ることもなく、高峰秀子は、ただ黙々と、自分が下した決断をより良い方向へ導いていったのだ。

それをなし得るために必要なものは、己への厳しさ。

6. 甘えない

子どもを甘やかす親は、それが自分自身を甘やかしていることだということに気づかない。
愛情とは束縛することではないということにも気づかず、やがて子どもの人生を自分の所有物の如く錯覚するようになるのだ。
そして甘やかされた子どもは、生涯その甘えに足を引っ張られながら、何とか逃れようと苦しみ続けることになる。

父親に甘やかされ、悩み続けてきた筆者の言葉。
肝に命じました。

”甘えない”とは、自分に甘えないことなのだ。自分に厳しいことなのだ。

自分は甘えないが、甘ったれな人間は受け入れる。
「人は人だから。」高峰さんの言葉。

7. 変わらない

人の肩書や役職で態度を変えない。
当たり前だけど、特に人気商売の役者さんでは、難しいはず。
でも、変えない。変わらない。
それが、高峰さん。

8. 結婚

知らなかったのですが、皇室以外の著名人で最初に結婚会見を開いたのが、松山&高峰夫妻。
チャペルでの式も、レストランでの小さなお披露目も、質素。
準備は全部高峰さんが自ら行ったそう。
そして全て終わってホテルにつき、松山氏と二人になった途端、安堵で号泣したそうです。

私は、高峰秀子が名もなく貧しい青年を選んだその”結婚”を、心から素晴らしいと思う。
だが、それ以上に見事だと思うのは、その結婚を半世紀以上、今日まで色あせずに続けているということである。

女優の、「結婚生活は長続きしない」というジンクスを破った、高峰秀子さん。
それは、自分のことを「何ほどの者でもない」と思っているから。
そして、松山氏の清廉な人間性。
夫が劣等感を抱かないようにと、朝から晩まで考え続けていたそうです。

人は結婚に何を求めるのだろう。
少なくとも、それは、”求める”ものではなく、”与え合う”ものだ。
松山夫妻を見ていて、私はそう思う。

9. 怠らない

高峰秀子さんにとって、何よりも大事なのは日常生活。
いかに自分と松山氏が快適に過ごせるか。
そのための準備も手入れも怠らない。
家はつねに整理整頓され、ムダなものがない。
冷蔵庫のなかもつねにスッキリ。
お料理は抜群にうまく、
家事には手をかける。

わたしにはお正月も普段の日もおんなじ。

今で言う、ミニマリストかしら?
ぜひ、家の様子を見てみたかったです。

10. 二十七歳のパリ その足跡を訪ねて

27歳でパリへ逃げ出した、高峰秀子
デブ(養母)から、親族から、仕事から。
女優の仕事がイヤでしかたがなかった、大女優。

でも、パリへも追ってくる、デブのお金の無心の電報。
帰国しても追ってくる、マスコミとファン。
さらには、自宅は勝手に養母名義の料亭になっていて、
帰国後宿泊すれば、法外な宿泊費を請求されることに。

でも、このパリ行きが、松山氏との結婚に結びつきます。
デブの所業の数々、読んでいるこちらも唖然。
そして腹が立ちます。

11. 媚びない

女優にとって、「媚びる」のは職業として当然のこと。
でも、高峰秀子さんは、この「媚びる」をしない、というかできない性格。
そして、これこそが女優業を嫌う原因だったそうです。

高峰秀子にとって、女優の本当の使命とは。

それは人間を演じること。媚びることではない。役柄を理解してその人物になりきることであり、演じている自分を観客に良く見せたり美しく見せて歓心を買うことではない。
(省略)
つまり、高峰秀子が人々に愛され、大女優にまでなったのは、見事に人間を演じきったからに他ならない。その上で、美しく魅力的だった。言わば女優としての王道をまっすぐに貫いて五十年を全うしたのである。

常に見る人間がいることと、媚びることは、別物。

筆者は、人間は3種類に分かれるといいます。

  1. 何もわからない人
  2. わかっているが実践できない人
  3. わかっていて、なおかつ実践できる人

高峰さんは、明らかに3の人だったそうです。

12. 奢らない

筆者と高峰さんの初対面は、高峰さん70歳のころ。
それまでに1200人ほどの女優さんと対談をしてきた筆者の発見した法則。
演技の下手な女優ほど威張る。
そして、辿り着いた結論。
女優はスクリーンや画面の中だけで観るべし。

その認識を覆した唯一の存在が、高峰秀子さんだそうです。

松山氏・高峰さんと、松山家で働いてきたお手伝いさん・運転手さんたちとのエピソード、とても素敵です。

威厳と奢りは、同居できない。

13. こだわらない

「私は、心の中にノートを持ってるの」
(省略)
「そのノートにね、いろんなことをゴタゴタ書きこみたくないの。いつも真っ白にしておきたいの」

高峰秀子さんの言葉。

そう、いろんなことにこだわりを持たず、穏やかに冷静にいられるとどんなのいいことか。
でもなかなかそれはできません。

「こだわり」って、最近では良い意味のように使われますが、
広辞苑では、

  1. さわる。さしさわる。さまたげとなる。
  2. 気にしなくても良いような些細な事にとらわれる。拘泥する。

という意味があるそうです。
そっか、「こだわりのお店」「こだわりの生活」って、いい意味ではないんだ、、、。

高峰秀子さんは、「こだわらない意思を持って」いる。
そう、筆者は結んでいます。
そして、こんな人には二度と出会えることはないだろう、と。

全章、筆者の斎藤明美さんの、高峰秀子さんへの尊敬が溢れている本です。
ときに、それが養母や親族への熾烈な批判として表現されています。
それが何度も、なんども。
そのことがちょっと目につくかなと思いました。
高峰秀子さんと斎藤明美さんは、正反対だなと。

高峰さんの本、ぜひ読んでみようと思います。
どんな文章をお書きになるんだろう。
いつか、映画も見てみたい。そう思いました。

↓いま、この本を読んでいます。